2007年9月2日日曜日

吉田拓郎の音楽



吉田拓郎の音楽が、ボブ・ディランの影響を受けていることは今更言うまでもありません。
明らかにディランの曲を下敷きにしたとわかるものもあります。たとえば『春だったね』=『Stuck Inside of Mobile With the Memphis Blues Again 』や『イメージの詩』=『Desolation Row 』というのは有名です。これらは、曲の成り立ちというかつくりが同じです。
他に思いつくものを挙げてみると、『やせっぽちのブルース』=『Ballad of a Thin Man 』、『花嫁になる君に』=『Girl from the North Country 』、『たくろうチャン』=『Rainy Day Women #12 & 35 』、『ペニーレインでバーボン』=『Like a Rolling Stone 』といったところでしょうか。これらは、最初に挙げた2曲とは異なり、拓郎の”ディランに成り切りたい”という気持ちからできた曲のように思います。たとえば、『やせっぽちのブルース』=『Ballad of a Thin Man 』は曲のタイトルが似ているだけじゃないかと思われるかもしれませんがそうではないと思います。『Ballad of a Thin Man 』には”Mr.Jones”という歌詞とメロディーが印象的な部分がありますが、拓郎はこのようなキメのある曲が歌いたくて『やせっぽちのブルース』をつくったのだと思います。『たくろうチャン』は『Rainy Day Women #12 & 35 』のあのザワついたラフな雰囲気を真似ようとしているのが感じられます。以前テレビで拓郎本人が『襟裳岬』はディランを意識してつくったという内容のことを話していましたが、これはいまだになにを真似ようとしているのかわかりません。

いずれにせよ昔の拓郎はディランをかなり意識していた、というよりも強く憧れていたというのが良くわかります。しかしこれもアルバム『今はまだ人生を語らず』までではないでしょうか。これ以降はディランの影響から意識的に逃れようとしているように感じます。オリジナル志向が強くなり、ディランから距離を置くようになっているのではないでしょうか。そして、私が本当に好きな吉田拓郎の音楽は、『人生を語らず』までなのです。拓郎がディランの影響から離れていくにしたがい、音楽的な魅力も失われていくのはなぜなのでしょうか。拓郎の音楽は実はそれほどオリジナリティが強くはないのではないかと最近考えるようになりました(純粋なオリジナルというのは厳密にはありませんが)。つまり、ディランの音楽を一旦拓郎というフィルタを通した音を私は愛していたのではないかと思うようになりました。私はディランを完全に後追いで聴いていますが、拓郎への熱中を追体験したような気分だったのを今でも憶えています。
『人生を語らず』以降も名曲といわれる曲はたくさんあります。しかし、以前のような”熱”をあまり感じることができません。ここでいう”熱”とはディランの音楽に対する情熱といっていいかもしれません。

今では、セルフカバーの乱発やつま恋の再現といった過去の栄光にすがる活動ばかりが目立っていますが、私はまったく不満です。どうせ過去の栄光にすがるのであれば、ディランの『Bootleg Series』のような内容のアルバムをリリースして欲しいと思っている拓郎ファンは私だけではないでしょう。『Live '73』の完全版や『人生を語らず』の2枚組なんかがリリースされたら結構売れると思うんですけど・・・。とりあえず『人生を語らず』はオリジナルでの再発が先ですね。

とにかく、拓郎は今こそ現在のディランの真似をして欲しいと思います。今の拓郎は面白くないなぁ。
と言いながら、昨年のつま恋は行ったんですけどね。

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