マイルスのレコードは『Agharta』『Pangaea』までしか聴いていませんでした。つまり、一時引退から復帰後のマイルスのレコードはまったく聴いたことがなかったということです。
ここであえて”レコードは”としているのは、復帰後のマイルスの生演奏は2回聴いたことがあるからです。
1回目は、確か雲仙のゴルフ場で開催された「Live Under The Sky」。この時はビッグ・バンドのメンバーとしてジャコ・パストリアスも来てました。私は福岡からジャコ目当てで、友達と二人で古いフォルクス・ワーゲンでヘコヘコ行きました。ジャコ目当てだったくらいですから、マイルスの演奏はほとんど憶えていません。ただ、ジャコは素晴らしくカッコよかったのをはっきり憶えています。”天才っているんだぁー”って思いました。あの音は忘れられませんね。
2回目は、福岡海の中道海浜公園で開催された「(確か)Live Under The Sky」です。
この時の印象は「・・・」でした。
つまりどちらもイマイチだったわけです。つまり、復帰後のマイルス=イマイチとなったのです。
しかし、マイルスのレコードやCDをじっくり聴くにしたがい、その時の印象を、”あれは俺に聴く耳がなかっただけかも・・・”と考えるようになりました。とにかく、復帰後をなんか一枚くらいはきちんと聴いてみようかなと考えるようになったわけです。
で、今回購入したのが『TUTU』です。
一聴して最初に思ったこと・・・”これ、何年の録音?”。
私は、JAZZを聴いている時に、これ何年録音?と考えたことはありません。過去一度も。
でも、これは考えたんですね。
調べてみると1986年でした。なんかナットク。っぽいよね~。80年代っぽいよね~。
『Agharta』『Pangaea』を聴いて、”70年代っぽいよね~”って思う人はいるのでしょうか。『Kind Of Blue』を聴いて、”50年代っぽいよね~”って思う人はいるのでしょうか。いないんじゃないでしょうか。
だって、これらの音楽は時代を超越して存在するからです。何年に録音されたかはどうでもいいからです。そんな普遍性に私は惹かれるのです。
電化時代における『Agharta』『Pangaea』までのマイルスは、ひたすらポリリズムを追求し、混沌とした世界を生み出しました。マイルスが時代を超えて切り拓いた末の世界です。その世界がマイルスにとっての理想だったのかどうかは分かりません。私にとっては、理想ではないかもしれないけど素晴らしい世界でした。何度聴いても飽きない、素晴らしく想像力をかきたててくれる世界です。
『Agharta』『Pangaea』から約10年後に生み出された『TUTU』。
明らかにマイルスは時代に迎合してます。80年代の音です。時代を感じさせます。
時代を感じるということは、時間の経過に従い陳腐化するということです。いくらジャケットで怖い顔をしても駄目です。ただ、今聴いていても古臭さはありません。そこはさすがですね。
このアルバムには、一時引退前のアルバムのような緊張感はありません。私はたぶんそこに違和感を感じているんだと思います。
でも、マイルスのトランペットそのものはやっぱり良いです!
このアルバムもしばらく聴き続けて、様子見としたいと思います。
その中で新たな発見があるかも・・・。そうあって欲しい。